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すみやねんも無事に終了

 すみやねんも無事に終了しました。昼過ぎから始めるという予定で、午前中はずっと雨降りで昼近くなっても止む気配がないから一体どうなるのだろうと心配していましたが、12時を過ぎたくらいからパタリと雨が止み、それからは太陽も出て暑いくらいの陽射しの中でBBQを行うことが出来ました。これが京都の力なのでしょうか。去年も似たような状況で結果的に晴れましたから、もはや器楽部のBOXに神がいる可能性を否定できなくなりました。
 怪しい天気だったにも関わらず新入生も来てくれました。火を起こすのにだいぶ手間取ってしまいましたが、お肉もマシュマロも焼いたし、焼きそばも作ったし、インドアサークルとしては上々のBBQだったと思います。皆さんも楽しんでくれていたら嬉しいです。

 さて、これで残る新歓イベントは今週22日(金)の第2回新歓コンサート&コンパのみとなりました。場所は器楽部のBOXで、時間はまた18時半からを予定しています。前回来れなかった人達もたくさん来てもらえたら、と思っています。基本的に入会は一年間いつでも受け付けているので「必ず新歓に来なければならない」ということでもありませんが、同じ新入生はどんな人がいるのか、器楽部のコンパってどんな感じなのか等々、サークルの雰囲気が非常に分かりやすいので是非来て下さいね!念を押しますが、ピアノ以外も大歓迎です!私も今度は演奏させてもらうのでちゃんと練習しなければ……。

 そうこうしている間に、実はあと2か月もしないうちに音楽研究会の前期定期演奏会が開催されようとしているんですね。今年の前期定演は6月3日(金)にALTIであります。新歓であたふたして忘れがちになってしまうのですが、2か月切っていると聞かされると、もうすぐに定演なんだと気合が入るようです。これは演奏者のみならず、定演チーフはじめ裏方で働くスタッフにも同じことでしょう。定期演奏会の詳細も、決定次第このブログ上でお伝えします。乞うご期待。

《私の好きな録音⑥》
 ジネット・ヌヴーが飛行機事故で亡くなったというニュースが人々に与えた衝撃がどれ程のものであったか。その悲劇から50年近くも後に生まれた私にとって、それは幾多の証言や回想などから想像する他ないことなのですが、しかし当時も今も根強い人気を誇るこのヴァイオリニストの死去がクラシック音楽界にとっての大いなる不幸であったことは誰もが言う通りに確かなのだと思います。彼女の残した録音は少なく、CDで5~6枚に収まってしまう程度しかありません。しかしながら、それらには彼女の演奏家としての姿勢が強く打ち出されています。
 ブラームスのヴァイオリン協奏曲を聴いたのが私にとって最初のヌヴーでした。音が、技巧が、とかそんなレベルではなくて、彼女の魂に一切の緩みが感じられないと真っ先に思いました。これこそ命を燃やして生み出された音楽なのだと。圧の利いたヴィブラートで紡ぎ出される一音一音がむせるほど濃厚な抒情を醸し出したかと思えば、音符の束を串刺しにするかのような強いアタックですぐさま真っ向から対峙する、そこには大見得や小粋なウィットなどの回り道は通じておらず、彼女はただ真っ直ぐな本道を堂々と歩いていくのみです。同じことはシベリウスの協奏曲にも言えます。この曲の持つ峻厳かつ幽玄な出で立ちをここまで露わにした演奏。作曲者本人から感謝の辞を受けたというのも納得です。
 彼女の生み出す濃密な音色はR.シュトラウスのソナタに驚くほどマッチします。作曲者若かりし頃のロマンチシズムが駄々漏れな名作を、高貴に薫り高く、どこを切っても鮮血が流れているように生命を漲らせて弾き切ります。ドビュッシーのソナタは一方で、彼女の(まるで武士のように)潔くクールな表現との絶妙な調和を見せています。本当に格好良い。ある意味で男性よりもはるかに男性的な演奏です。また、その驚異的な集中力は彼女の演奏の魅力でもありますが、そうした意味で小品の録音は粒揃いの名演ばかりです。ラヴェルのツィガーヌショーソンの詩曲ショパンの夜想曲第20番などなど目白押しです。
 ジネット・ヌヴーの生涯の名演と名高いのが、死の1か月前に録音されたベートーヴェンの協奏曲です。残されたヌヴーの演奏は全てが30代も前の若い頃のものであり、いくらそこに成熟した音楽があってもそこから若さを看過することはできません。しかしこの録音を聴く度に、この先どんどん熟していったであろう彼女の音楽は一体どのような境地にまで至ったのだろうかと想像せずにはいられないのです。ここには確実に、更なる音楽的次元へと階段を上ろうとする彼女の姿が見えます。彼女の弾くバッハの無伴奏やベートーヴェンのソナタ、メンデルスゾーンの協奏曲はどのような響きがしたのでしょうか。
 たらればは無意味で、逝ってしまった人の未だ見ぬ演奏に思いを馳せても空しくなるだけだと言う人もいるでしょう。本当にそうでしょうか? そのように尽きせぬ想像に駆り立ててくれるという事実が、まさに彼女の演奏がどのようなものであるかを一番如実に物語るものであり、そうした演奏の数々を残してくれたことが何よりの宝物だと私は思います。
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