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入試も終わって

 京大入試の二日間が終わったところで、ここからは受験生の皆さんがやきもきして過ごす数日間となるのでしょう。そして毎年恒例の「折田先生像」は合格発表日くらいまでは総人広場に佇んでいるのでしょうか…今年はどうやら「川田先生像」に変身していたみたいですけど。さて、後期試験に目を向けて勉強を怠らない人もいるでしょうが、息抜きがてらに入学後のバラ色キャンパスライフ邁進のためにサークルをあれこれ調べる人もいるかも知れません。そんな最中に「音楽研究会器楽部」を見つけてくれたら幸いですね。
 報告が遅れましたが、音研としては久しぶりに2月8日と9日の一泊二日で冬合宿に行ってきました。合宿とは言いつつも参加希望者による懇親旅行のようなもので、行き先は城崎温泉。私が城崎に行くのは初めてで、温泉巡りやマリンワールドなど、先輩後輩も一緒の中で楽しく満喫できました。一日の中で何個も温泉に入れるのはやはり温泉地ならではのことで、旅館で貸してくれる浴衣に羽織を上から着込み、下駄をカランコロンと鳴らしながら、かの文豪も綴った街並みを歩き回る、その風情には格別のものがありました。まだまだ寒い時季、冷たい風に吹かれる中を早歩きに抜けて、いざ湯に浸かる瞬間の心地良さには身も心も癒されます。温泉だけでなく、但馬牛や蟹といった名物も味わえましたし、あわせて飲む城崎地ビールもなかなか美味しく、お土産には地酒を忘れずに買って京都に帰りました。…なんだか下手な旅レポみたいになりましたが、とにかく、音研合宿は夏と冬のシーズンで催される予定ですから、次の旅行先は何処かなと今から胸を弾ませているところです。新しく入ってくる皆さんとも一緒に楽しめたらいいですね。
 以前にお伝えした錦鱗館コンサートですが、3月5日(日)の15時30分開演という運びとなりました。少し遅めの始まりとなりますが、是非聴きに来て頂ければと思います。

 〈プログラム(順不同)〉
クラリネット三重奏曲より 第2楽章 / ブラームス
屋根の上の牡牛 / ミヨー
チェロソナタ ト短調 / ショパン
ヴァイオリンソナタ第5番「春」より 第1楽章 / ベートーヴェン
パルティータ ト長調 より Ⅰ,Ⅵ,Ⅶ / テレマン
2台ヴァイオリンのためのソナタ より 第2楽章 / プロコフィエフ

 今回も音研らしさの滲み出た、耳が楽しいプログラムですね。肩肘の貼らない気楽なコンサートですので、リラックスしたアットホームな雰囲気の中で是非聴いて下さい。

《私の好きな録音⑯ ~ピアノ四重奏曲第3番ハ短調 / ブラームス~》
 YouTubeにも少し前までは目ぼしい演奏がありませんでしたが、今年の正月になってようやく定番であるグァルネリ四重奏団とルービンシュタインの録音がアップされました。実際のところ、3つあるピアノ四重奏曲のうちでは第1番の人気が突出して高いため、他の2曲は全集企画でもないかぎり実演や録音の機会にそれほど恵まれないようです。
 1861年に作られたピアノ四重奏曲第1番と第2番は作品番号で言うと「25」と「26」の連番になっていて、調性も仄暗いト短調と澄明なイ長調という対比が際立っており、ちょうど兄弟作であることが分かります。一方で作品番号「60」の第3番は1874年頃に成立していて、対となるような作品もないため、言ってしまえば独り者の曲です。しかしこの第3番は元となる曲自体が実は第1番が生まれるよりも前の1856年に出来上がっており、その時は3楽章構成の嬰ハ短調のピアノ四重奏曲でした。自作に対する批判癖が強いこともあって、ブラームスはその出来に満足せず、時を経たおよそ20年後の大改訂によって現在の姿となり世に送り出されました。第3番が独り者であることも納得できましょう。
 ブラームスは出版に当たり、「表紙にはピストルを自らの頭に突きつける男を描くといいでしょう」と出版社に言っています。単なる冗談にしては深刻すぎますが、むしろそのような描写がしっくりきてしまうというのは実際に曲を耳にすれば分かることでしょう。人生に突然鳴り響く鐘の音、恐れや諦めの入り混じった吐息、そして降りかかる悲劇の嵐。あの交響曲第1番と通じるのはハ短調の調性のみならず、「とんでもないことが始まった」という張り詰めた感覚です。また元の四重奏曲が書かれていた期間はちょうど、恩人であるシューマンが自殺未遂を起こしてから死に至る一連の時期と重なっているため、これと結び付けて考えることもできます。何にしろ、曲全体を支配する悲劇や死の匂いが聴く者の脳裏をよぎることは間違いないのです。
 しかしながら、この曲で最も聴くべきは破滅への一歩を踏み出す第1楽章でも、何かをつけ狙うように急く第2楽章でも、彷徨と嵐の再臨である第4楽章でもありません。
 それは愛に満ちた第3楽章。ブラームスの生涯でも屈指の愛の旋律。私達はこの中にブラームスを見出さねばなりません。友人の日記によれば、この曲が完成した少し後、43歳の頃、彼はこう言ったそうです。「結婚すれば良かったと思うこともある。……しかし結婚に適した時期には地位がなく、今では遅すぎる」。ブラームスは生涯独身であったとはいえ、心惹かれた女性は何人かいたのですが、その誰一人にも思いを打ち明けることはできませんでした。最愛のクララにさえ真情を吐露することは叶わなかったのです。それはブラームスの性格でもあり、自己批判であり、諦観であり、そしてこの上ない思いやりなのでしょう。愛して大切なものであるからこそ、自分は触れてはいけない。愛と諦め、そして回想と後悔がここには揺らいでいるのです。この第3楽章は、2008年のヴェルビエ音楽祭においてメナヘム・プレスラーその他がシューマンのピアノ四重奏曲のアンコールで弾いているのですが、その時のプレスラーが「クラシック音楽の中で最も真摯な愛の告白」と言っており、全くその通りだと思いました。言葉で伝えられなくても、音楽でなら表現できるのですね、ブラームスは。
 こうした愛と苦悩に満ちた雰囲気から「ウェルテル四重奏曲」と呼ばれることもあるそうですが、第4楽章の最後、あの印象的な終わり方が何を意味するのか、実際に聴いてみて考えて欲しいです。

 実のところ、私の好きな録音は上記のグァルネリ四重奏団&ルービンシュタインのものではありません。YouTubeにはなかったのでとても残念なのですが、一番のお気に入りは1952年のプラド・カザルス音楽祭におけるシゲティ、ケイティムス、トルトゥリエ&ヘスの演奏です。本当にマイナーな録音で、入手も難しいかも知れません。私も「トルトゥリエ名演集」なる廉価版10枚組の中に偶然入っていたので知ったくらいですが、この曲についてはこの演奏が至高です。もし聴く機会があったら幸運だと思って下さい。シゲティの憂愁がこぼれんばかりの項垂れた音色を聴いただけで鳥肌ものです。ヘスの度量が大きい盤石のピアノは相変わらずで、これほどブラームスがハマるピアニストもいないでしょう。4人の個性がそれぞれ濃いにもかかわらず、全体が大きな渦と流れを形成して聴き手を飲み込んでいく、尋常でない演奏だと思います。
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新歓に向けて・・・?

 定期演奏会を終えて間もなく冬休みに入り、そこから1月は後期試験に向けて授業がスパートし、ようやく今日で試験が終了して春休みを迎えました。また長くブログが滞っていたのはブログ主の筆不精が原因です。でも、ほら、不定期更新ですし・・・。
 しかしブログの更新が途絶えていたいることには、これでもそれなりの危機感は抱いており、なぜかと言うとそろそろ京大の入学試験が近付いてくるからです。昨年は新歓に来てくれた新入生の中に「ブログを読んで来ました」という人も多く、そこで初めて(こんなブログでも新歓の生命線になっているのか)と認識するに至ったわけで、そろそろ始動しておかないと「活動してないサークル」だと誤解されるかも知れないので、春休みにもなったから早速ページを更新しているということです。わりと、楽器が弾けるサークルがないかと探して、音研器楽部のブログに流れついて自由に活動していそうなこのサークルに足を向ける人も多いようですからね。そういう人はひとまず新歓に来てみて下さいね。
 今のところは大きなイベントもなく落ち着いていますが、2月末か3月始めにお馴染みの錦鱗館でミニコンサートを企画しているところです。まだ演奏者募集中の段階なので確定できていませんが、色々と決まり次第また告知します。しかし、あっと言う間に2月ですね。これでまたすぐに新歓の時期になるのかと思うと同時に、同期の学部生にとっては最後の年度になると考えると幾分感慨もあります。まあ、卒業に向けて単位と格闘したり、卒論の仕上げに追われたりしながら、結局はピアノを弾いているのだろう。と思います(少なくとも私は・・・)。
 新入生向けに書いておくと、うちのサークルはピアノサークルではないので、弦楽器も管楽器も入会大歓迎です。個人的なことを言うと、ビオラやチェロの新入生とか、オーボエやファゴットの新入生が来てくれたらとても嬉しいですね。過去にはマリンバで入会してた先輩もいますし、弦楽合奏団を組織できるくらいには弦楽器の人が多かったみたいです。あとは歌の人がいたら文句ないです。『詩人の恋』やってみたい。

《私の好きな録音⑮ ~ブランデンブルク協奏曲第5番~》
 ここまで何となく演奏家縛りで語ってきましたが、だんだんと語れる程のネタが無くなってきたのと、一人の演奏家に決めるといくら分量を割いても語り足りなくなってしまうのとで、まあ思い付くネタで誰それとこだわらずに書いていきたいと思います。齢22の私が語れる程に聴き込んだ演奏家は本当に一握りに過ぎないですし、とか言ってまた思い出したように誰かについて話し始めるんじゃないかなと。元々が雑記帳のようなものには変わりないです。
 そんなこんなでバッハの大名曲『ブランデンブルク協奏曲第5番』を持ち出してきました。ふと思い返してこのブログの初期の記事を見たら、「今日の1曲」とかで同じ曲を紹介していたみたいです。薄い文章で、多分まだこのブログの立ち位置と自分の立ち位置が分かっていなかったんだと思います。さて、この曲は音楽史上で最初にチェンバロをフィーチャーした協奏曲なんて言われ方をしますが、確かに第1楽章にはチェンバロの大規模なカデンツァがあって、他の楽章でもチェンバロの役割は大きいのでまあその通りかなと。でもコンチェルト・グロッソという大枠をはみ出してはこの曲の意味が無いですね。ここの捉え方の如何で、独奏楽器にソリストを起用するか、あくまで合奏団の中で成立させるかという違いも生まれるのかも知れません。
 ブランデンブルク協奏曲の録音というとカール・リヒターの世紀の名盤がありますが、時々面白くないと感じる所もあって、やっぱりこの人は受難曲で聴いておきたいと思わせます。『マタイ受難曲』でリヒターより感動を誘う演奏もそうはないでしょう。『やはりあの方は神の御子だったのだ』で幾度となく感涙しました。
 さてブランデンブルク協奏曲第5番について、近頃聴いてその美しさに心奪われたのはブリテン指揮イギリス室内合奏団の録音です。作曲家としても著名なブリテンはピアニストや指揮者としても卓越した手腕を発揮しましたが、この録音では作曲家の視点から洞察豊かな演奏を繰り広げており、これまで看過されていた曲の有機的な奥深さを再認識させてくれます。スコアのさらに向こう側を読み込むような演奏は、作品の構造や声部の豊饒な絡み合いを紐解き、細部にまで命の通った美しさを聴かせています。こうした演奏だと、独奏楽器群の華やかさよりもむしろ、合奏群までも含めた全体の統一感に耳が向きますね。
 もう一つ、これはチェンバロの代わりにピアノを用いた録音で、日本では専ら指揮者として名高いカルロ・ゼッキがピアノパートを弾いているものがあります。1938年という彼の若かりし頃の録音で、当時はまだピアニストとして名声を博していました。オーケストラが時代がかってはいますが、ゼッキのピアノはまるで羽が生えているように軽く柔らかく弾んでおり、第1楽章カデンツァや第3楽章に聴かれる天衣無縫で無理のない指さばきは余人の及ぶ所ではないように思えます。この録音のもう一つの魅力は、独奏ヴァイオリンをジョコンダ・デ・ヴィートが受け持っていることでしょう。イタリアが生んだ二人の天才の邂逅とでも言うのでしょうか、ともかく、主に独奏を聴く録音であることには間違いありません。ゼッキがピアニストとしてバリバリ活躍したのは戦前のことで、戦後は指揮者としての名声が勝っていますが、室内楽の分野でチェリストのミクロシュ・ペレーニやエンリコ・マイナルディと組んだ録音が残されています。彼のピアノ演奏を聴くにつけて、ミケランジェリと並んでイタリアを代表するピアニストと持て囃されたのは伊達ではないと感じ入るものです。
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