スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

新入生の皆さんへ

 入試から早いこと、今日は合格発表の日ですね。京都大学は国公立の中ではたしか発表の日が一番遅かった覚えがあります。私の時も周りの友人はどんどん合否が分かっているのに、自分は最後の最後までじれったい思いで待っていました。近年では大学によってはネットでのみ合否発表をする所もありますが、京都はまだ掲示発表も続けていて、このまま行くと毎年受験者が合否を確認しにやって来るのもゆくゆくは京大ならではの風景となるのでしょうか。掲示発表が無くなると各サークルの勧誘部隊が繰り出してくることも無くなるので、ちょっと寂しいですね。

 勧誘と言えば、我らが音楽研究会器楽部も新歓イベントの日程は以下のようになりました。
・4月14日(金) 18時30分~ 第1回新歓コンサート&コンパ
・4月28日(金) 18時30分~ 第2回新歓コンサート&コンパ
・4月30日(日) すみやねん(BBQ)
 コンサートでは器楽部の先輩たちがちょこっと演奏して、その後コンパでみんなで飲み食いするという流れです。どちらもサークルのBOXで行うので、時間までに吉田南グラウンドの北西隅にあるプレハブもどきに来てくれれば大丈夫だと思います。場所がよく分からなければ、うちの2回生が器楽部の看板を持って吉田南の正門辺りで待機してくれていると思うので(例年そうなので)、その人について来てもらえればいいでしょう。コンサートだけ聴いて帰るのもいいし、コンパの方だけでもいいので、是非足を運んで下さい。
 「すみやねんとは?」や「そもそも器楽部ってどんなサークル?」という人は、このブログを2015年4月までさかのぼって記事を読んで下さい。当時の丁寧な自分が解説しているはずなので。まあブログを読んでくれていれば分かると思いますが、ひとまずは相当なクラシックオタクが数人在籍しているサークルだと思ってもらえれば、それはそれで間違いないです。むしろその他のクラシックオタクな京大生の皆さんは、うちのサークルにでも入らない限りどこでオタク要素を吐き出しているのかと不思議なくらいです。クラシックオタクを自称する新入生がいるならば、その人はひとまず器楽部に足を運んでみてはいかがでしょう?
 それから、器楽部は入会に際しての仮手続きを随時受け付けているので、新歓を待たずとも興味があれば合格発表直後にコンタクトを取ってもらって構いませんし、新歓期が終わっても機を逸したということはないのでお立ち寄り下さい。例年なら早くて3月末に最初の仮入会希望の新入生がやって来るのですが、今年はどうなるでしょうか。
 何か聞きたいことや分からないことがあれば kyodaionken☆gmail.com(☆を@に変えて下さい)までメールをして頂くか、このブログにメッセージをくれれば返信します。遠慮なくどうぞ。

《私の好きな録音⑰ ~ブランデンブルク協奏曲第2番~》
 ブランデンブルク協奏曲は度々話題にしていますが、今回は第2番です。どの曲もバッハの世俗的に親しみやすい面が出ていて人気がありますが、これはトランペットが使われていることで更に華やかさが加わっています。例えば『クリスマス・オラトリオ』などがそうですが、バッハの作品はトランペットが入ると一気に華麗で典礼的な趣が増しますね。モダン楽器による演奏ではアバド率いるオーケストラ・モーツァルトの演奏が聴いていて楽しいし、見ていても楽しい。なかなか豪華なメンツで、独奏楽器群だけでもヴァイオリンにジュリアーノ・カルミニョーラ、リコーダーにはミカラ・ペトリ、そしてトランペットを受け持つのがラインホルト・フリードリヒ。その他名前を挙げればキリがありませんが、アバドと親交のあった人でこれだけになるとは。
 聴いている楽しさとは裏腹に、トランペットはハイトーンの連続で、よく言われる話ですが、この曲のトランペットパートはかなりの難技巧を要求するので多くの奏者が故障したとかしないとか。現代のトランペットであればまだしも、バロック・トランペットはピストンを備えていないため正確な音程を出すことに更なる厳しさが加わります。何にしろ音程が高すぎるのが最大の難点ではあるそうですが、ピストンの代わりにリコーダーのような音孔がいくつか空いていて、これでいくらかは助けらます。そしてこちらがバロック・トランペットでの演奏です。見ると確かに管に直接孔が空けられているのが分かります。モダン楽器と比べると音色も違ってキツさは無く、あけすけな開放感というよりむしろもっと高い所から響いてくるような、それでいて包容力も感じられます。
 しかしこれでもまだ曲の本来の姿ではないんですね。当時実際に使われていたトランペットには音孔さえなかったらしく、奏者は完全に唇の調子だけで音程を変えていたそうです。信じられないですね。そんな信じられない演奏がこのクイケン率いるラ・プティット・バンドの演奏です。映像だと第3楽章しか見つかりませんでしたが、ほら、見ての通りです。片方の手を腰にしっかり当てて、もう片方はトランペットをぎゅっと握っています。モダン楽器に慣れた目からだともはや別の楽器のように見えます。これこそが当時の音楽界で『天使の声』と呼ばれた音色です。ホルンなんかも昔は唇本位であとはベルの中に片手を突っ込んで微妙な音程の操作をしていたと聞きますが、殊に管楽器については時代が進むにつれての楽器の(そして演奏技術の)発達と関わって裏話が多いようにも思われます。そんなことを聞きかじって改めて曲に耳を傾けるのも面白いやり方です。
 まあどの時代であってもブランデンブルク協奏曲第2番のトランペットが至難であることに変わりはありませんが、そうなると演奏に際しての奏者探しも一苦労で、最悪の場合は弾ける人が見つからないなんてこともよくあります。そんな時の解決策の一つが「別の楽器でやる」です。カザルス指揮のプラド音楽祭管弦楽団による演奏では面白いことにトランペットの代役でソプラノ・サクソフォンが使われています。一説によると、カザルスの快速テンポにトランペットがついていけなかったので、機動力のあるサクソフォンに白羽の矢が当たったとか。実際、通常採用されるテンポよりは両端楽章は幾分速く設計されているのですが、それだけに豪快でエネルギッシュな仕上がりとなっており、また嘆息のような中間楽章とも好対照をなしています。カザルスのチェロ演奏にも感じられるたっぷりとした息遣いや大きな生命力が指揮にも表れているのです。ここでサックスを吹いているのはサックスの神様であるマルセル・ミュール、サックスという楽器がクラシック界の重要な1ピースであることを認知させた立役者です。典雅で生き生き、なおかつまろやかな響きはトランペットとも違う味わいを引き出していて、珍奇な意味無しに一つの演奏として高く評価できます。ちなみにこの演奏は1950年の第1回プラド音楽祭のもので、これはバッハ没後200年祭としても企画されたものでした。だからなのか、現代におけるバッハ演奏の大家としても熱の入った演奏を聴かせてくれているのかも知れません。
スポンサーサイト

入試も終わって

 京大入試の二日間が終わったところで、ここからは受験生の皆さんがやきもきして過ごす数日間となるのでしょう。そして毎年恒例の「折田先生像」は合格発表日くらいまでは総人広場に佇んでいるのでしょうか…今年はどうやら「川田先生像」に変身していたみたいですけど。さて、後期試験に目を向けて勉強を怠らない人もいるでしょうが、息抜きがてらに入学後のバラ色キャンパスライフ邁進のためにサークルをあれこれ調べる人もいるかも知れません。そんな最中に「音楽研究会器楽部」を見つけてくれたら幸いですね。
 報告が遅れましたが、音研としては久しぶりに2月8日と9日の一泊二日で冬合宿に行ってきました。合宿とは言いつつも参加希望者による懇親旅行のようなもので、行き先は城崎温泉。私が城崎に行くのは初めてで、温泉巡りやマリンワールドなど、先輩後輩も一緒の中で楽しく満喫できました。一日の中で何個も温泉に入れるのはやはり温泉地ならではのことで、旅館で貸してくれる浴衣に羽織を上から着込み、下駄をカランコロンと鳴らしながら、かの文豪も綴った街並みを歩き回る、その風情には格別のものがありました。まだまだ寒い時季、冷たい風に吹かれる中を早歩きに抜けて、いざ湯に浸かる瞬間の心地良さには身も心も癒されます。温泉だけでなく、但馬牛や蟹といった名物も味わえましたし、あわせて飲む城崎地ビールもなかなか美味しく、お土産には地酒を忘れずに買って京都に帰りました。…なんだか下手な旅レポみたいになりましたが、とにかく、音研合宿は夏と冬のシーズンで催される予定ですから、次の旅行先は何処かなと今から胸を弾ませているところです。新しく入ってくる皆さんとも一緒に楽しめたらいいですね。
 以前にお伝えした錦鱗館コンサートですが、3月5日(日)の15時30分開演という運びとなりました。少し遅めの始まりとなりますが、是非聴きに来て頂ければと思います。

 〈プログラム(順不同)〉
クラリネット三重奏曲より 第2楽章 / ブラームス
屋根の上の牡牛 / ミヨー
チェロソナタ ト短調 / ショパン
ヴァイオリンソナタ第5番「春」より 第1楽章 / ベートーヴェン
パルティータ ト長調 より Ⅰ,Ⅵ,Ⅶ / テレマン
2台ヴァイオリンのためのソナタ より 第2楽章 / プロコフィエフ

 今回も音研らしさの滲み出た、耳が楽しいプログラムですね。肩肘の貼らない気楽なコンサートですので、リラックスしたアットホームな雰囲気の中で是非聴いて下さい。

《私の好きな録音⑯ ~ピアノ四重奏曲第3番ハ短調 / ブラームス~》
 YouTubeにも少し前までは目ぼしい演奏がありませんでしたが、今年の正月になってようやく定番であるグァルネリ四重奏団とルービンシュタインの録音がアップされました。実際のところ、3つあるピアノ四重奏曲のうちでは第1番の人気が突出して高いため、他の2曲は全集企画でもないかぎり実演や録音の機会にそれほど恵まれないようです。
 1861年に作られたピアノ四重奏曲第1番と第2番は作品番号で言うと「25」と「26」の連番になっていて、調性も仄暗いト短調と澄明なイ長調という対比が際立っており、ちょうど兄弟作であることが分かります。一方で作品番号「60」の第3番は1874年頃に成立していて、対となるような作品もないため、言ってしまえば独り者の曲です。しかしこの第3番は元となる曲自体が実は第1番が生まれるよりも前の1856年に出来上がっており、その時は3楽章構成の嬰ハ短調のピアノ四重奏曲でした。自作に対する批判癖が強いこともあって、ブラームスはその出来に満足せず、時を経たおよそ20年後の大改訂によって現在の姿となり世に送り出されました。第3番が独り者であることも納得できましょう。
 ブラームスは出版に当たり、「表紙にはピストルを自らの頭に突きつける男を描くといいでしょう」と出版社に言っています。単なる冗談にしては深刻すぎますが、むしろそのような描写がしっくりきてしまうというのは実際に曲を耳にすれば分かることでしょう。人生に突然鳴り響く鐘の音、恐れや諦めの入り混じった吐息、そして降りかかる悲劇の嵐。あの交響曲第1番と通じるのはハ短調の調性のみならず、「とんでもないことが始まった」という張り詰めた感覚です。また元の四重奏曲が書かれていた期間はちょうど、恩人であるシューマンが自殺未遂を起こしてから死に至る一連の時期と重なっているため、これと結び付けて考えることもできます。何にしろ、曲全体を支配する悲劇や死の匂いが聴く者の脳裏をよぎることは間違いないのです。
 しかしながら、この曲で最も聴くべきは破滅への一歩を踏み出す第1楽章でも、何かをつけ狙うように急く第2楽章でも、彷徨と嵐の再臨である第4楽章でもありません。
 それは愛に満ちた第3楽章。ブラームスの生涯でも屈指の愛の旋律。私達はこの中にブラームスを見出さねばなりません。友人の日記によれば、この曲が完成した少し後、43歳の頃、彼はこう言ったそうです。「結婚すれば良かったと思うこともある。……しかし結婚に適した時期には地位がなく、今では遅すぎる」。ブラームスは生涯独身であったとはいえ、心惹かれた女性は何人かいたのですが、その誰一人にも思いを打ち明けることはできませんでした。最愛のクララにさえ真情を吐露することは叶わなかったのです。それはブラームスの性格でもあり、自己批判であり、諦観であり、そしてこの上ない思いやりなのでしょう。愛して大切なものであるからこそ、自分は触れてはいけない。愛と諦め、そして回想と後悔がここには揺らいでいるのです。この第3楽章は、2008年のヴェルビエ音楽祭においてメナヘム・プレスラーその他がシューマンのピアノ四重奏曲のアンコールで弾いているのですが、その時のプレスラーが「クラシック音楽の中で最も真摯な愛の告白」と言っており、全くその通りだと思いました。言葉で伝えられなくても、音楽でなら表現できるのですね、ブラームスは。
 こうした愛と苦悩に満ちた雰囲気から「ウェルテル四重奏曲」と呼ばれることもあるそうですが、第4楽章の最後、あの印象的な終わり方が何を意味するのか、実際に聴いてみて考えて欲しいです。

 実のところ、私の好きな録音は上記のグァルネリ四重奏団&ルービンシュタインのものではありません。YouTubeにはなかったのでとても残念なのですが、一番のお気に入りは1952年のプラド・カザルス音楽祭におけるシゲティ、ケイティムス、トルトゥリエ&ヘスの演奏です。本当にマイナーな録音で、入手も難しいかも知れません。私も「トルトゥリエ名演集」なる廉価版10枚組の中に偶然入っていたので知ったくらいですが、この曲についてはこの演奏が至高です。もし聴く機会があったら幸運だと思って下さい。シゲティの憂愁がこぼれんばかりの項垂れた音色を聴いただけで鳥肌ものです。ヘスの度量が大きい盤石のピアノは相変わらずで、これほどブラームスがハマるピアニストもいないでしょう。4人の個性がそれぞれ濃いにもかかわらず、全体が大きな渦と流れを形成して聴き手を飲み込んでいく、尋常でない演奏だと思います。

新歓に向けて・・・?

 定期演奏会を終えて間もなく冬休みに入り、そこから1月は後期試験に向けて授業がスパートし、ようやく今日で試験が終了して春休みを迎えました。また長くブログが滞っていたのはブログ主の筆不精が原因です。でも、ほら、不定期更新ですし・・・。
 しかしブログの更新が途絶えていたいることには、これでもそれなりの危機感は抱いており、なぜかと言うとそろそろ京大の入学試験が近付いてくるからです。昨年は新歓に来てくれた新入生の中に「ブログを読んで来ました」という人も多く、そこで初めて(こんなブログでも新歓の生命線になっているのか)と認識するに至ったわけで、そろそろ始動しておかないと「活動してないサークル」だと誤解されるかも知れないので、春休みにもなったから早速ページを更新しているということです。わりと、楽器が弾けるサークルがないかと探して、音研器楽部のブログに流れついて自由に活動していそうなこのサークルに足を向ける人も多いようですからね。そういう人はひとまず新歓に来てみて下さいね。
 今のところは大きなイベントもなく落ち着いていますが、2月末か3月始めにお馴染みの錦鱗館でミニコンサートを企画しているところです。まだ演奏者募集中の段階なので確定できていませんが、色々と決まり次第また告知します。しかし、あっと言う間に2月ですね。これでまたすぐに新歓の時期になるのかと思うと同時に、同期の学部生にとっては最後の年度になると考えると幾分感慨もあります。まあ、卒業に向けて単位と格闘したり、卒論の仕上げに追われたりしながら、結局はピアノを弾いているのだろう。と思います(少なくとも私は・・・)。
 新入生向けに書いておくと、うちのサークルはピアノサークルではないので、弦楽器も管楽器も入会大歓迎です。個人的なことを言うと、ビオラやチェロの新入生とか、オーボエやファゴットの新入生が来てくれたらとても嬉しいですね。過去にはマリンバで入会してた先輩もいますし、弦楽合奏団を組織できるくらいには弦楽器の人が多かったみたいです。あとは歌の人がいたら文句ないです。『詩人の恋』やってみたい。

《私の好きな録音⑮ ~ブランデンブルク協奏曲第5番~》
 ここまで何となく演奏家縛りで語ってきましたが、だんだんと語れる程のネタが無くなってきたのと、一人の演奏家に決めるといくら分量を割いても語り足りなくなってしまうのとで、まあ思い付くネタで誰それとこだわらずに書いていきたいと思います。齢22の私が語れる程に聴き込んだ演奏家は本当に一握りに過ぎないですし、とか言ってまた思い出したように誰かについて話し始めるんじゃないかなと。元々が雑記帳のようなものには変わりないです。
 そんなこんなでバッハの大名曲『ブランデンブルク協奏曲第5番』を持ち出してきました。ふと思い返してこのブログの初期の記事を見たら、「今日の1曲」とかで同じ曲を紹介していたみたいです。薄い文章で、多分まだこのブログの立ち位置と自分の立ち位置が分かっていなかったんだと思います。さて、この曲は音楽史上で最初にチェンバロをフィーチャーした協奏曲なんて言われ方をしますが、確かに第1楽章にはチェンバロの大規模なカデンツァがあって、他の楽章でもチェンバロの役割は大きいのでまあその通りかなと。でもコンチェルト・グロッソという大枠をはみ出してはこの曲の意味が無いですね。ここの捉え方の如何で、独奏楽器にソリストを起用するか、あくまで合奏団の中で成立させるかという違いも生まれるのかも知れません。
 ブランデンブルク協奏曲の録音というとカール・リヒターの世紀の名盤がありますが、時々面白くないと感じる所もあって、やっぱりこの人は受難曲で聴いておきたいと思わせます。『マタイ受難曲』でリヒターより感動を誘う演奏もそうはないでしょう。『やはりあの方は神の御子だったのだ』で幾度となく感涙しました。
 さてブランデンブルク協奏曲第5番について、近頃聴いてその美しさに心奪われたのはブリテン指揮イギリス室内合奏団の録音です。作曲家としても著名なブリテンはピアニストや指揮者としても卓越した手腕を発揮しましたが、この録音では作曲家の視点から洞察豊かな演奏を繰り広げており、これまで看過されていた曲の有機的な奥深さを再認識させてくれます。スコアのさらに向こう側を読み込むような演奏は、作品の構造や声部の豊饒な絡み合いを紐解き、細部にまで命の通った美しさを聴かせています。こうした演奏だと、独奏楽器群の華やかさよりもむしろ、合奏群までも含めた全体の統一感に耳が向きますね。
 もう一つ、これはチェンバロの代わりにピアノを用いた録音で、日本では専ら指揮者として名高いカルロ・ゼッキがピアノパートを弾いているものがあります。1938年という彼の若かりし頃の録音で、当時はまだピアニストとして名声を博していました。オーケストラが時代がかってはいますが、ゼッキのピアノはまるで羽が生えているように軽く柔らかく弾んでおり、第1楽章カデンツァや第3楽章に聴かれる天衣無縫で無理のない指さばきは余人の及ぶ所ではないように思えます。この録音のもう一つの魅力は、独奏ヴァイオリンをジョコンダ・デ・ヴィートが受け持っていることでしょう。イタリアが生んだ二人の天才の邂逅とでも言うのでしょうか、ともかく、主に独奏を聴く録音であることには間違いありません。ゼッキがピアニストとしてバリバリ活躍したのは戦前のことで、戦後は指揮者としての名声が勝っていますが、室内楽の分野でチェリストのミクロシュ・ペレーニやエンリコ・マイナルディと組んだ録音が残されています。彼のピアノ演奏を聴くにつけて、ミケランジェリと並んでイタリアを代表するピアニストと持て囃されたのは伊達ではないと感じ入るものです。

本当にお久しぶりです

 長らくブログの更新が途絶えていました。やらなきゃとは思っていたのですが、一度「まあ今日は忙しいし、明日にでも……」などと考えてしまうと、もうだめですね。ほとんど忘れたに近い状態だったのを、ようやく数か月ぶりに新しく記事を書いている訳です。仕事は後回しにするとどんどん手がつかなくなる、なるほど。

 器楽部は現在何をしているかというと、NFと定期演奏会に向けて着々と準備を進めているところです。京大のNF(11月祭)期間中には、毎年のことですが、吉田南構内の共東棟の一室でミニコンサートを開きます。2日間です。まだ出演者募集中なので詳細はお伝えできませんが、ピアノはもちろん、色々な楽器のアンサンブルも楽しんで頂けると思います。京大の11月祭にお越しの際はぜひ器楽部のミニコンサートも覗いてみて下さい。
 そして器楽部のメインイベントとなる定期演奏会、今度は12月16日(金)の開催となっています。以下にプログラムを記載しておきますが、定演については後日、また記事を改めて紹介したいと思います。

〈プログラム〉

佐藤馨.Pf (文・3)
 J.S.バッハ=ブゾーニ / コラール前奏曲『来たれ、異教徒の救い主よ』BWV659
 J.S.バッハ / トッカータ ホ短調 BWV914
 ショパン / 舟歌 嬰ヘ長調 Op.60

橋本莉沙.Va (法・3) 松永修.Pf (総人・3)
 シューベルト / アルペジョーネソナタ イ短調 D821

谷口直也.Pf (文・4)
 ベートーヴェン / ピアノソナタ第23番 ヘ短調 Op.57 『熱情』

皆川真澄.Pf (農・修1)
 ベートーヴェン / ピアノソナタ第30番 ホ長調 Op.109

谷川俊介.Pf (理・修2)
 デュティユー / ピアノソナタ

 バッハからデュティユーまで、バロックから現代に至る幅広いプログラムとなりました。また、シューベルトのアルペジョーネソナタはチェロで演奏されることの多い曲ですが、今回はヴィオラということで、これもまた面白く聴くことができると思います。

《私の好きな録音⑭ ~アルフレッド・コルトー~》
 今よりもまだ小さい頃、私にとってコルトーは専らリパッティに関する文脈の中で現れる人でした。当時の私はリパッティが音楽界の神様だと信じて疑わなかった(それは今も変わらない)ので、コルトーの名前を目にしても特に興味を惹かれることはありませんでしたし、聴いてみようかなと思うこともありませんでした。ほとんど小説のページの隅っこにインクの染みを見つけたくらいにしか感じていなかったのです。そして、これはよく世の評論家の文章に見掛けることですが、リパッティの清廉さに対比させる形でコルトーの持ち味が語られていることが多かったのも、当時の私に先入見を与えたのだと思います。だいぶ経ってからいざ聴いてみたら、それは確かにリパッティの清らかな詩人のような弾き方とは違う、評論家の言葉もむべなるかなと思われる弾き方でした。多分ショパンの何かしらを聴いたはずですが、とにかくそれ以来、長らくコルトーの演奏に耳を傾けることはありませんでした。正直なところ、「ショパンに関してはリパッティ以外は要らぬ」とか思ってたのかも知れませんね。
 まあ、そんな理由から彼の演奏を聴くことはあまりなかった訳ですが、ある時にふと、シューマンの『詩人の恋』を演奏者を知らされぬまま聴いたことがありました。歌手の滑らかな歌い口もさることながら、伴奏者のなんとまあ美しい演奏か。よく知られているように、シューマンの歌曲はピアノの比重が高く、歌手だけでなく伴奏者の質も演奏全体の出来に深く影響するのですが、その演奏は歌を覆い潰すこともなければ引っ込み過ぎることもなく、作品の世界に非常によく溶け込んでいる驚異的とも思われるものだったのです。誰が弾いているか、それこそがアルフレッド・コルトーでした。ショパンばっかり弾いている人だと思ったら、『詩人の恋』の伴奏だということにまず驚き、それから昔は耳に馴染まなかったルバート具合が今では好ましく感じることに驚きました。やっぱり年齢で演奏の好みって変わるんですね。
 以来、それまで抱いていた勝手なイメージが消え、一転してコルトーはお気に入りのピアニストになりました。しかしそこにはちょっとした持論があって、コルトーは実はドイツ物の方が魅力的なのではないかと思っています。とはいえ、彼が残した録音にはシューマンを置いて他にはドイツ作品は多いとは言えません。バッハやベートーヴェンは数える程度にしか残っていないのです、残念。しかし例えば、ベートーヴェンの『大公』は有名なカザルス・トリオ(ヴァイオリンがティボー、チェロがカザルス、ピアノがコルトー)での演奏ですが、ここまでベートーヴェンの偉大な精神に迫ることのできた演奏が一体いくつあることでしょうか。もちろん三重奏曲なので、コルトーのみでこの録音の価値を語ることは出来ませんが、しかし第1楽章を先導する貫禄あるピアノの風格や第3楽章の主題提示部に聴こえるどっしりとしていながら穏やかで深みのある音は、ベートーヴェン弾きとしての彼の資質を十分に示しているでしょう。この音で第32番の録音が残っていたならどんなに幸せだろう。
 シューマンはショパンと並んで彼のピアノ演奏の中核をなすレパートリーと言っていいはずです。現代の耳からすればコルトーが弾くシューマンは危なっかしくて聴いていられないかも分かりませんが、不安定で予測を嫌う特有のムラみたいなものがあって、初めてシューマンの幻想と夢想が色濃く立ち上がってくるのだと思いますし、その点でコルトーはそれをよく理解して(いや直感して)います。『子どもの情景』はシューマンが子どもへの眼差しを音に託したものであると同時に、シューマン自身の夢想の結実である私は思っているのですが、コルトーは単なる純粋無垢な子どもの物語ではなく、フロレスタンとオイゼビウスの二面性やむしろ憧れのようなものを紡いでいるように聴こえてきます。最後に登場する「詩人」が一体誰なのか、というのは私にとってこの作品で一番大きな問題です。
 そして最終的にショパンへと巡り帰ってくるとすれば、私がオススメしたいのは『ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調』です。一般的に知られているものはバルビローリ指揮の録音ですが、ここに紹介しておくものはウィレム・メンゲルベルクというこれまた私の好きな指揮者とのライブ録音です。この演奏を聴くにつけて、「ああやはり彼はショパン弾きなのだな」と改めて実感してしまいます。ミスタッチは数え上げればキリがないし、指回ってないし、オケとずれてるところも多々。しかしそんなことは甚だしくどうでも良い。ショパンのリリシズム、優美かつ切ない歌い回し、軽やかで輝かしい飛翔……言葉で挙げていたらとても追いつかない。音楽の最も偉大な時間がここにあったんだという、それだけを事実として、じっくり耳を傾けて欲しいと思います。

第122回定期演奏会、その5

 第122回定期演奏会の最後はブラームスです。彼の天才は幼少の頃から秀でており、10歳にはすでにピアニストとして生計を立てるほどでした。作曲でも多くの作品を書き上げたと言われていますが、自己批判的傾向の強かったために若書きの習作のほとんどは廃棄され、19歳以前の作品は記録があるのみで現存はしていないようです。今日私達が彼の作品1としている『ピアノソナタ第1番』でさえも、本当は数多くの習作の上に生み出されたものだということは確認しておくべきでしょう。
『ピアノソナタ第3番 ヘ短調 Op.5』は彼がまだ20歳の時に生まれた、青年らしい情熱の漲る作品です。3作目のピアノソナタということですが、それ以前の二作はいずれも彼が19~20歳の一年の間に書かれたものであり、またこの第3番を最後にこの分野には着手することはなかったので、ブラームスがピアノソナタと向き合った時間は若年のわずか一年ほどだったということになります。この一年間に彼はピアノソナタという分野に嫌気が差したのか諦めてしまったのか、はたまたこの分野ではすでに自分なりの終着点に到達したと考えたのか。本作を見てみると、全曲を貫徹している燃え盛る情念や瑞々しい抒情美の裏で、構成の上での不均衡や処理が稚拙な点も多々見受けられ、やはり若書きという印象を拭えない部分もあります。しかしながら、自身のピアノソナタの集大成として見るならば、前二作より大規模で野心的な構成を持ち、また音楽的にもよりどっしりと巨大なものを内包するこの第3番を傑作として位置付けることは出来るでしょう。
 ブラームスがベートーヴェンやモーツァルトといったドイツ古典派、さらにはバッハといったバロック期に至るまでのドイツ音楽を愛し、範にしていたことはよく知られています。そして自らもその系譜に連なる作曲家としての自負があったと思います。ベートーヴェンを意識しすぎたせいで『交響曲第1番』の完成に20年の歳月を要したという話は有名ですが、特にピアノソナタにおいてもベートーヴェンの残した32の怪物が立ちはだかっているわけで、それらに追従する自らのピアノソナタを作るということの重みは相当なものだったはずです。自身がひどく優秀なピアニストだったということもあって、分かり過ぎるくらいにピアノことがよく分かるブラームスにとっては、却って困難な仕事になったのではと想像出来ます。全5楽章のアーチ構造という凝った構成も、至る所に顔を出す動機の展開も、偉大な先達にある意味で対抗するための手段。その一方で、第3楽章の舞曲調の音楽には後のハンガリー舞曲やワルツ集の萌芽も感じられ、いかにもブラームスらしくなっています。
 「ベートーヴェンの後に一体何が残っているというのだろう?」とはシューベルトの言でしたが、その問いに対して20歳の青年が敢然と示した一つの"答え"を聴いて頂きたいと思います。

《私の好きな録音⑬》
 ベートーヴェンのピアノソナタで名演を生み出すというのは並大抵のことではないでしょう。単にあらゆるピアニストが取り組むだけでなく、音楽それ自体の持つ奥行きを見通すだけの「視力」が演奏者に求められるからです。昨今の録音大氾濫時代にあっては尚のこと困難極まりない、厄介な問題です。しかし時代が流れても、依然としてベートーヴェンがピアニストを量るのに最良であるということには変わりありません。私も、誰か気になるピアニストに出会った時は、出来ればその人のベートーヴェンを聴くようにしているし、自然とベートーヴェンが聴きたいと思ってしまいます。
 そうして出会った録音には忘れ得ぬものも少なからずあります。イギリスのピアニストであったソロモンが残したベートーヴェンの録音は、奇を衒わぬ佇まいの中に強靭な意志を落とし込んだ、得難い感覚に裏打ちされたものばかりです。ハンマークラヴィーアは昔から名高い演奏でしたが、第32番もこれ以上何を求めればいいのか分からないくらいの芸術の顕現です。吉田秀和さんも仰っていた通り、彼がまさにベートーヴェン弾きだったということがよく理解できます。
 フランスのイヴ・ナットもベートーヴェンにおいては至高の体現者と言えましょう。彼のベートーヴェンには土臭さというものがなく、聴いていると、純化され凝縮された音の滴に触れるような心持ちです。しかしながら、どちらかと言えばこの人は個性的という分類に当てはまる人で、屈強かつ潔い表現は時としてハッとさせるような風景を描き出し、大見得を切って見せることもしばしばです。彼の創作主題による32の変奏曲はこの曲の最上の演奏の一つだと思います。ソロモンでは叶いませんでしたが、ナットによってピアノソナタ全集が完成されたのは何と喜ばしいことでしょうか!彼はまたシューマンでも他の追随を許さぬ名演を残していてくれていますから、そちらもぜひ聴いてもらいたいです。『交響的練習曲』や『幻想曲 ハ長調』などなど。
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。